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大阪高等裁判所 平成2年(ネ)311号 判決

平成二年(ネ)第二一〇号事件被控訴人(第一審原告) 吉井佐一郎

同 勝井秀次郎

同 庄司一郎

同 庄司勇

平成二年(ネ)第三一〇号事件控訴人(第一審原告) 宮崎利雄

同 橋本博

同 津田甲一

同 礒本経一

同 勝井義一

同 西村秀介

同 辰巳政一

同 松崎利三

同 松浦文次

同 松本寅太郎

平成二年(ネ)第三一一号事件控訴人(第一審原告) 松本霜四郎

同 西影ツネ

平成二年(ネ)第二一〇号事件被控訴人同年(ネ)第三一一号事件控訴人(第一審原告) 西村藤一郎

右第一審原告一七名訴訟代理人弁護士 森田宏

同 久保隆

平成二年(ネ)第二一〇号事件控訴人同年(ネ)第三一〇号事件被控訴人同年(ネ)第三一一号事件被控訴人(第一審被告) 八幡神社

右代表者代表役員 宮本一雄

右訴訟代理人弁護士 野村務

主文

一  原判決中、第一審被告敗訴部分を取り消す。

二  第一審原告吉井佐一郎、同勝井秀次郎、同庄司一郎、同庄司勇、同西村藤一郎の第一審被告に対する請求並びにその余の第一審原告らの本件各控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告らの負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

(平成二年(ネ)第二一〇号事件)

一  控訴の趣旨

1  原判決中、第一審被告敗訴部分を取り消す。

2  第一審原告らの請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告らの負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は、第一審被告の負担とする。

(平成二年(ネ)第三一〇号事件、同第三一一号事件)

一  控訴の趣旨

1  原判決中、第一審原告ら敗訴部分を取り消す。

2  第一審原告宮崎利雄、同橋本博、同津田甲一、同礒本経一、同勝井義一、同西村秀介、同辰巳政一、同松崎利三、同松浦文次、同松本寅太郎が、いずれも第一審被告の氏子であり、第一審原告松本霜四郎、同西村藤一郎、同西影ツネが、いずれも第一審被告の氏子総代であることを確認する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも第一審被告の負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴をいずれも棄却する。

2  控訴費用は、第一審原告らの負担とする。

第二当事者双方の主張

次のとおり付加、訂正するほか、原判決が事実摘示するところと同じであるから(但し、原判決五枚目表四行目の「出生した」とあるのを「出生したのち」と、同裏八行目の「責任役員氏子総代の」とあるのを「責任役員、氏子総代に選任されるための」と、同一〇枚目裏初行の「具進」とあるのを「具申」と各改める。)、これを引用する。

(第一審被告)

一  第一審原告吉井佐一郎は、昭和三七年四月に氏子総代に就任したが、昭和四〇年三月の任期満了前に、責任役員や、他の氏子総代らと意見が衝突したことから、自ら氏子総代を辞任し、その後、昭和四〇年三月に、同第一審原告の後任として、尼崎市七松町の庄司勘次郎が氏子総代に選任され、同年四月一日に就任した。

二  第一審原告勝井秀次郎は、昭和四〇年四月一日、氏子総代に就任し、昭和四三年三月に任期を満了したが、再任されず、同年四月には、同第一審原告の後任として尼崎市七松町二丁目二一番の高田慶蔵が、氏子総代に選任され、就任した。

三  仮に、右事実が認められないとしても、第一審被告の宗制、宗規である宗教法人「八幡神社」規則一六条三項は、氏子総代の三年の任期満了後、重任、新任の手続きの懈怠により、氏子総代不在の事態が起きた場合に、前任者がなお在任すると定めることによって、第一審被告神社の運営に支障をきたさないように、一時的な救済を与えることを目的として定められた規定であり、右第一審原告らが退任後二〇年以上も経過した現在、後任者の就任が明確でないことを理由に、右第一審原告らの氏子総代としての地位を認めるための規定ではない。なお、責任役員と意見が合わなかったため、自ら氏子総代を辞任した第一審原告吉井佐一郎については、第一審被告神社との信頼関係が消滅しているといわなければならないから、このような場合にまで同条項を適用するのは相当ではない。

四  第一審原告庄司勇、同庄司一郎、同吉井佐一郎、同西村藤一郎、同勝井秀次郎は、共謀のうえ、第一審原告庄司一郎らを中心として、第一審被告神社の祭典行事につき悪宣伝をし、他の氏子を行事に参加させないように、嫌がらせをし、幟を破損し、ポスターを破るなど、第一審被告神社の運営を妨げる行為をしたので、第一審被告神社は、その宗制、宗規である庁規一〇〇条を適用し、昭和五七年六月二一日に開催された責任役員会の決議を得て、右第一審原告全員を第一審被告神社の氏子から除名し、そのことを右第一審原告らに通告した。

(第一審原告ら)

第一審被告の右主張はいずれも争う。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  第一審被告八幡神社が、寛仁年間(西暦一〇二〇年ころ)に創建された神社であって、古くから旧七松村の氏神として崇敬を受け、旧七松村の氏子によって維持、管理され、存続してきたこと、それまで旧七松村の村社であった第一審被告神社が、昭和二六年四月三日に公布された宗教法人法(法律第二一四号)により、翌年七月一日付けで同法に基づく宗教法人として設立されたことは、いずれも当事者間に争いがない。

右争いのない事実に〈証拠〉を総合すると、第一審被告神社と第一審原告らの争いの本訴に至るまでの事案の概要については、次のとおり認められる。

1  第一審被告神社は、祭神を応神天皇とし、旧七松村の氏神であって、その創建以来、同村に先祖代々居住してきた住民らの氏神として崇敬を集め、これら土着の住民は、神社護持の精神に則り、土地を寄進し、費用を負担し、その維持、管理に努めてきた。ところが、このような氏神と氏子の関係においても、第二次大戦後の人口の都市集中化の影響により、新たに旧七松村の地域及びその近隣地域に住み着いた者の数が増え、先祖代々旧七松村の地域の住民であった第一審原告らの数を遥かに上回るようになった。第一審被告神社としても、神社の維持、管理について、このような時代の趨勢を無視することはできず、第一審原告らのみを他から転入してきた氏子と区別し、特別に扱うことはできないところから、新旧の氏子を平等に扱っていたところ、第一審原告らは、右第一審被告神社の方針に対して不満を抱くようになった。ちなみに、昭和五〇年ころには、新たに余所の土地から地域に移住してきた氏子は、一八〇〇人位に達しているのに、旧住民の氏子はせいぜい五〇人位であった。

2  第一審被告神社は、神社本庁による被包括法人であり(宗教法人「八幡神社」規則第四条)、宮司は、代表役員を除くほかの責任役員の具申または同意により、包括法人の神社本庁統理(神社本庁の代表役員)によって任命され、派遣されることに宗制上定められている。昭和三八年九月ころ、先代の宮司が死亡し、その子である現宮司宮本一雄が神社本庁統理により新宮司に任命され、第一審被告神社に派遣された。

3  現宮司は、神社の建物が古くなっていたところから、かねて、これを新築したいとの意向を抱いていたが、昭和五〇年ころ、第一審被告神社所有土地の一部を売却して、資金を捻出し、社殿の新築に着手した。ところが、古くから、地域に居住している氏子(村氏子)の一部は、宮司が、もともと、自分たちの先祖が寄進した土地であるのに、これを自分たちに碌々相談もせずに売却し、宮司の同調者である責任役員の同意を得ただけで、社殿の新築を独断専行しようとしていると主張し、また、新社殿の向きをめぐって、東隣に居住する第一審原告庄司一郎が中心となって、社殿新築計画に反対の意思を表明し、第一審原告松本寅太郎、同松本霜四郎、同西影ツネを除くその余の第一審原告らは、(1) 第一審被告神社と藤山豊、岩崎一夫、大原康生間の昭和五一年八月一七日付責任役員委嘱契約の無効と、(2) 第一審被告神社の昭和五一年一一月一〇日に開催された責任役員会における第一審被告神社の本殿新築工事決議の無効の各確認を求めて、神戸地方裁判所尼崎支部に、訴訟(前訴)を提起した(同裁判所昭和五二年(ワ)第一一八号)。

ところが、右訴訟は、いずれも、訴えの利益を欠く不適法なものであるとして、訴えが却下され、大阪高等裁判所の控訴棄却の判決(同裁判所昭和五五年(ネ)第一七〇一号)を経て、昭和五九年九月六日、最高裁判所の上告棄却判決(同裁判所昭和五六年(オ)第八二五号)の言渡しにより、本訴第一審原告らの敗訴に確定した。

4  これに先立ち、第一審原告庄司一郎、同西村藤一郎、同吉井佐一郎、同庄司勇、亡鳥飼菊治郎(原審における共同原告。昭和六三年二月九日、死亡により訴訟が終了した。)らは、昭和五七年六月一八日ころ第一審被告神社に到達した同日付け内容証明郵便をもって、第一審被告神社に対し、それぞれ氏子名簿の閲覧を請求したが、第一審被告神社は、昭和五七年六月二一日、代表役員(宮司)宮本一雄、責任役員岩崎一夫、同竹田一、同宮本敬士の全員が出席した責任役員会における全員一致をもって、次の如き決議、すなわち、「右請求を拒絶するとともに、併せて、第一審被告神社の祭典の行事に関し、理由もなく、悪宣伝をし、他の氏子、崇敬者が参加しないように働きかけ、神社祭典用の幟旗を切り、破り、祭用のポスターを破るなど第一審被告神社の運営を妨げる行為をしたものとして、第一審原告松崎利三、同西村秀介、同西村藤一郎、同津田甲一、同礒本経一、同橋本博、同庄司一郎、同勝井義一、同吉井佐一郎、同勝井秀次郎、同松浦文次、同宮崎利雄、同辰巳政一、同松本寅太郎、亡礒本仁三郎(原審における共同原告。平成元年一二月一一日死亡により訴訟が終了した。)、亡西村勇作(原審における共同原告。昭和六三年五月一六日死亡により訴訟が終了した。)に対して、いずれもその氏名が氏子名簿に登録されていないこと、仮に登録されているとしても第一審被告神社の宗制、宗規である宗教法人「神社本庁」庁規(以下、単に、「庁規」という。)一〇〇条に基づきその登録を削除すること、第一審原告庄司勇、亡鳥飼菊治郎、亡松井典男(原審における共同原告。昭和六三年四月二四日死亡により訴訟が終了した。)に対しては、右庁規一〇〇条に基づき、その氏名の登録を氏子名簿から削除すること」を決議し、その旨を、昭和五七年六月ころに右第一審原告らに到達した内容証明郵便により通告した。第一審原告らは、その後も第一審被告神社との和解をしないまま、昭和六〇年三月二八日に本訴を原審に提起した。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

二  本訴における第一審原告らの請求は、(1) 第一審原告庄司一郎、同宮崎利雄、同橋本博、同津田甲一、同吉井佐一郎、同西村藤一郎、同磯本経一、同勝井義一、同勝井秀次郎、同西村秀介、同辰巳政一、同松崎利三、同松浦文次、同庄司勇、同松本寅太郎と第一審被告神社との間において、第一審原告らが第一審被告神社の氏子であることの確認等を求め、(2) 第一審原告吉井佐一郎、同勝井秀次郎、同松本霜四郎、同西村藤一郎、同西影ツネと第一審被告神社との間において、右第一審原告らが第一審被告神社の氏子総代であることの確認を求めるものであること、その氏子または氏子総代の地位についての本訴当事者間の争点は、第一審原告らが第一審被告神社の氏子または氏子総代として活動するにふさわしい適格を備えているかどうかという、本来、その宗教団体内部においてのみ、自治的に決定されるべき、宗教上の教義ないしは宗教活動に関する問題ではなく、専ら第一審被告神社における氏子ないし氏子総代が、その選任の手続上の準則に従って選任されたか否か、右選任の手続上の準則、またはその解任の手続上の準則とはなにかを究める問題に関するものであることが、当事者の主張に則して明かであり、また、宗教法人法一二条によれば、宗教法人を設立しようとする者は、同法一三条所定の規則の認証申請の少なくとも一月前に、信者その他の利害関係人に対し、規則の案の要旨を示して宗教法人を設立しようとする旨を公告しなければならず、同法二三条によれば、宗教法人は、同条所定の財産処分等をしようとするときは、その行為の少なくとも一月前に、信者その他の利害関係人に、その行為の要旨を示してその旨を公告しなければならないとの定めがあること、規則の変更の認証についての手続きについても同様の定めがあること(同法二六条)、神社の氏子・崇敬者名簿に登録された氏子または氏子総代は、右宗教法人法にいう信者に該当すると認められることを併せ考えると、宗教法人にとって氏子または氏子総代は、重要な法律上の地位でもあると認められ、右選任手続の効力の問題は、裁判所法三条一項所定の法律上の争訟にあたり、裁判所がこれを審理し、判断することになんらの支障はないものというべきである。

三  第一審被告神社の宗制、宗規として、宗教法人「八幡神社」規則(以下、単に、「規則」という。)及び前掲「庁規」があること、規則三八条、庁規九九条には、第一審被告神社を崇敬し、その維持について義務を負う者を第一審被告神社の氏子または崇敬者といい、これを氏子または崇敬者名簿に登録する旨の定めがあることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、第一審被告神社の宗制、宗規上、氏子または崇敬者とは、第一審被告神社を崇敬し、その維持につき、財産の寄進、参拝、お宮参り、同神社のお札を受けるなどの行為を通じて第一審被告神社の維持に協力し、直接に、または前記財産の寄進行為などを通じて間接的に、第一審被告神社に対し、氏子または崇敬者となることを申し入れ、神社側においてこれを承諾することにより、その地位に執くものであること、なお、氏子と崇敬者とは、その居住する地域によって区別され、旧七松村の地域に居住するものは「氏子」、それ以外の地域に居住するものは、「崇敬者」と呼ばれていること、氏子及び崇敬者は、氏子又は崇敬者名簿に登録するとされていることがそれぞれ認められる。

また、〈証拠〉によれば、その反面、氏子、崇敬者に、庁規一〇〇条所定の神社の運営を妨げる行為があると認められ、第一審被告神社において、これら氏子または崇敬者を教団から排除したいと考えたときは、第一審被告神社は、責任役員会の決議を経て、氏子、崇敬者から除名する旨の通知を本人に対してすることにより、宗教団体としての第一審被告神社から、これら氏子、崇敬者を排除できることが認められる。

これを本件についてみるのに、前記一で認定した事実によれば、第一審原告松本霜四郎、同西影ツネを除くその余の第一審原告らは、いずれも、旧くから、旧七松村の地域に居住して第一審被告神社との関わりがあったものと認められるが、他方、〈証拠〉によれば、第一審原告松本霜四郎、同西影ツネ、同吉井佐一郎、同西村藤一郎、同勝井秀次郎、同庄司一郎、同庄司勇を除くその余の第一審原告らは、昭和五〇年ないし五一年頃において、既に第一審被告神社の氏子名簿に登録されていなかったことが認められるから、他に特段の立証のない本件においては、右原告らは、当時、既に第一審被告神社を崇敬し、その維持について義務を負う第一審神社の氏子ではなかったものと推認するのが相当である。

もっとも、右第一審原告松本霜四郎、同西影ツネ、同吉井佐一郎、同西村藤一郎、同勝井秀次郎、同庄司一郎、同庄司勇を除くその余の第一審原告ら一一名は、かつて第一審被告神社の氏子または崇敬者名簿に登録されていたが、その後、第一審被告神社ないしその責任役員が何らの根拠なく恣意的に右第一審原告ら一一名の氏子の地位を、除名により剥奪したり、氏子名簿に登録されている氏名を違法に除去したと主張するが、本件における全証拠によるも右事実を認めることができない。却って、仮に右第一審原告ら一一名がかつて第一審被告神社の氏子であったとしても、前記一の4で認定した事実によれば、右第一審原告らは、その後昭和五七年六月ころ、庁規一〇〇条に基づき、責任役員会の決議を経て、第一審被告神社が行った除名の通告により、その氏子たる地位を失ったものと解するのが相当である。

また、第一審原告吉井佐一郎、同西村藤一郎、同勝井秀次郎、同庄司一郎、同庄司勇らについては、〈証拠〉によれば、いずれもかつて第一審被告神社の氏子名簿に登録されていたか、第一審被告神社の氏子総代ないしその代理や建設委員等をしていたことが認められるから、いずれも、第一審被告神社の氏子であったことが推認される。しかし、前記一の4で認定した事実によれば、右第一審原告吉井佐一郎、同西村藤一郎、同勝井秀次郎、同庄司一郎、同庄司勇も、昭和五七年六月ころ、庁規一〇〇条に基づき、責任役員会の決議を経て、第一審被告神社が行った除名の通告により、その氏子たる地位を失ったものと解するのが相当である。

なお、庁規一〇〇条の適用については、もとより、神社の運営を妨げると認められる事実があることが必要であるところ、前記一に掲記の各証拠によれば、第一審原告松本霜四郎、同西影ツネを除くその余の第一審原告らには、第一審被告神社の運営を妨げる行為をしたことが認められる。

また、仮に右第一審原告らに第一審被告神社の運営を妨げる行為がないのに、これに藉口して氏子たる地位を剥奪する結果を招来することがあってはならないが、ことがらの性質上、その理由の存否の判断は、本来、宗教団体内部の自治に任せるのが相当と認められる事項であり、右庁規一〇〇条の解釈、適用については、虚無の事実を主張して、当該氏子の排除を図るなど、特段の事情が認められる場合は格別、そうでない限り、第一審被告神社に大幅に裁量の余地を認めるのが相当であり、前記認定にかかる前訴提起の際の事情を併せ考慮すると、第一審被告神社の庁規一〇〇条に基づく前記通告が違法であって、前記除名処分が無効であるとまでは認められないというべきである。

第一審原告らのこの点についての請求はいずれも理由がなく、棄却を免れない。

四  昭和四九年四月一日現在、第一審原告松本霜四郎、同西影ツネ、亡前田良一(原審における共同原告。昭和六〇年八月一八日、死亡により訴訟が終了した。)、亡鳥飼菊治郎、亡松井典男の五名が第一審被告神社の氏子総代であり、氏子総代の任期が三年で、後任者が就任するまでは在任することになっていたこと(規則一六条三項)、第一審被告神社の氏子総代の選任方法は、規則一六条及び慣行により、氏子または崇敬者の中で、徳望の篤い者のうちから、宮司、責任役員総代が、推薦したうえ、総代会にはかり、その承認に基づいて宮司が委嘱することになっていたことは、いずれも当事者間に争いがないが、〈証拠〉によれば、第一審原告吉井佐一郎、同西村藤一郎、同勝井秀次郎が、右第一審原告主張の如く、昭和四九年四月一日に第一審被告神社氏子総代に就任(重任)したことはなく、従って、右第一審原告らは、当時、第一審被告神社の氏子総代ではなかったこと、また、仮に第一審原告西村藤一郎がそれ以前に氏子総代であったとしても、その後、辞任または任期満了等により氏子総代の地位を去り、かつ、その後任者が選任されたことが認められる。

なお、〈証拠〉によれば、昭和五一年一月ころ、第一審原告西村藤一郎は、氏子総代松浦喜代蔵の代理に選任されたこと、原審における第一審原告吉井佐一郎、同庄司一郎各本人尋問の結果によれば、第一審原告吉井佐一郎は、昭和四二年ないし四三年ころ、氏子総代に選任されたこと、第一審原告勝井秀次郎については、〈証拠〉によって、昭和三八年以降に氏子総代に選任されたことのあること、がそれぞれ認められ、右各認定に反する原審における第一審被告代表者本人の供述は、直ちには採用することができないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

しかしながら、〈証拠〉によれば、第一審原告松本霜四郎、同西影ツネは、いずれも、昭和五一年八月一六日に辞任し、第一審原告松本霜四郎の後任には、同月二二日、藤原正一が、第一審原告西影ツネの後任には、同月二五日に川端尚武が、それぞれ氏子総代に選任されたことが認められる。

また、第一審原告西村藤一郎は、前記認定のとおり、松浦喜代蔵の代理であったところ、〈証拠〉によれば、同第一審原告は、昭和五一年一月一四日に、松浦喜代蔵は、同月二〇日に氏子総代及びその代理を各辞任し、松浦喜代蔵の後任には、同年四月一日付けをもって、宮本敬士が選任されたことが認められ、右各認定を左右するに足りる証拠はない。

さらに、〈証拠〉を総合すると、第一審原告吉井佐一郎及び同勝井秀次郎の両名については、遅くとも昭和五〇年ころまでに辞任または任期満了により、氏子総代の地位を去り、その後任者が選任されたものと認められ、右各認定を左右するに足りる証拠はない。

なお、第一審原告吉井佐一郎、同西村藤一郎、同勝井秀次郎、同松本霜四郎、同西影ツネは、仮に右第一審原告ら五名が辞任またはその任期満了したとしても、その後、その後任者の選任について総代会を開いてその承認を得ていないから、右第一審原告らは、引き続き氏子総代の地位にあると主張する。しかし、前掲〈証拠〉によれば、氏子総代が辞任した場合には、任期満了の場合と異なり、後任者が選任されなくても、その地位を失うと認めるのが相当であるし、また、〈証拠〉によれば、前記第一審原告ら五名の氏子総代の後任者は、総代会を開き、その承認を得る等、所定の手続きを経て、適法に選任されたが、昭和五一年以前は、第一審被告神社では、本件のような紛争がなかったので、右総代会の議事録等は格別作成していなかったことが認められる。従って、右第一審原告らの主張は採用できない。

第一審原告らのこの点に関する請求も理由がなく、棄却を免れない。

五  以上のとおりであって、原判決中、第一審原告吉井佐一郎、同勝井秀次郎が、いずれも第一審被告神社の氏子総代であり、第一審原告庄司一郎、同庄司勇、同吉井佐一郎、同西村藤一郎、同勝井秀次郎が、いずれも第一審被告神社の氏子である。と認めて、その各地位の確認請求を認容した部分は、正当でなく、右請求は、いずれもこれを棄却すべきものであって、第一審被告神社の本件控訴は理由があり、これを認容すべきものであるが、その余の第一審原告らの本件控訴は、いずれも理由がなく、棄却を免れない。よって、訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、八九条、九三条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 後藤勇 裁判官 東條敬 裁判官 小原卓雄)

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